私の道の歩き方

私が私の道を歩くようになった事。

食べても良いよ

私はペットに小動物を飼っています。

 

小さい頃から動物が大好きで大好きで。

 

植物も大好きで。

 

ヴィーガン等の動物を食べないという話を聞いて、植物も生き物なのに、何故植物は食べても良いのだろう?

動かないから?声を発しないから?

批判する事ではなく、感じ方が違うのだと思います。

 

元々肉は食べていましたが、生肉を触ると、可愛い可愛いわんこの後ろ脚の筋肉の感触と同じなので、切って調理することが苦手でした。

 

ある時、肉を食べる事が出来なくなりました。

肉を食べなくなると、どんどん、敏感になっていき、味噌汁を飲んでも出汁に使われたかつお節の血の味が感じられて気持ち悪い程でした。

 

今思うとそれは、他の命を奪ってまで、

"自分には生きる価値など無い"と思っていたからでした。

自分を大切にする事が出来なくなっていたのです。

 

数年かけて自分を癒し、受け入れて。

肉も食べるようになっていましたが、必要最小限にしようとして、上手くバランスが取れずにタンパク質や亜鉛等の健康に必要な栄養素が足りない事があります。

 

なんとなく守護霊的な存在から、

『まだ早い。その時ではない』と肉を食べるように促されている気配があって、今日も仕方なく食べました。

 

食後にまた考える機会があり、ペットのウサギを撫でながらお話ししました。

 

「こんなに可愛いのに、私は、本当に究極の時は大事なお友達のあなたを食べるかもしれないよ。」

 

ーーー食べても良いよ。

 

 

ーーー大好きだから、食べても良いよ。

 

大好きな友達だからこそ、困った時なら自分を食べろというのです。

ウサギは自然界では捕食される動物で寿命が6年程度です。

…まぁ、年老いて死ぬ時に肉を頂く分には良いかなぁとか、

あれ?でも確かに自分もウサギの立場だったら、大好きな友達の為なら食べられても別に良さそうな気もするな、とか、

ああ、そうする事によってその魂は徳を積む事が出来るのかも、とか一瞬色々考えが巡りました。

 

可愛い可愛いウサギちゃんは、言うのです。

ーーーいつも〜してくれる!〜してくれる!

ーーー大事に大事にしてくれる。大好き!

 

ただ純粋に。

そして、私に、たくさん生きてと言ってくれるのです。

少しじゃなくて、お腹いっぱい!

綺麗でいて、長生きして。

 

ーーー魂は傷つかないよ。体は勝手に反応するものだけど、魂は痛くないよ。

ーーーまた一緒に居る為に生まれてくるよ!

 

このウサギちゃんは、可哀想な死に方をした子猫の魂の生まれ変わりです。

子猫の為に祈りを捧げた私に懐いて、ペットになって私を助けに来てくれたようで、よくお話しします。

一回来てくれただけで嬉しいのに、何度も私の所に生まれて来ようと言うのです。

その純粋さに、真っ直ぐさに号泣してしまいました。

 

綺麗な土地で育てられている

綺麗な目をした牛がいます。

あの美しい瞳をずっと忘れられませんでした。

知的に見えるあの牛も、受け入れているのだと気付きました。

恨みもせず、そのつもりの魂なのだと。

 

ようやく、そちら側の感覚に気付きました。

 

多分、自分も動物の立場ならそうなるだろうと。

巡って行く。

 

 

ただの可哀想な生き物ではない。

 

 

気高く尊い魂達です。

 

 

美しいです。

 

 

お世話をさせて頂ける有り難さ

 


誰かのお世話になるということは、一方的で、とても申し訳ない事だと思っていたけど。

 


介護をした事で、自分が成長出来た。

お世話を、させて頂いてたんだ。

 


誰かを助けるって難しい。

自分に出来ない事が沢山ある。

 

その人の学びの邪魔をしてはいけない時も多くある。

 

誰かの為に、何かが出来るのはとても素晴らしい。

 


例え、徳を積みたいと思ったとしても、本当に人の為になるかどうか…

 


介護は、徳を積む、とても大きな

与えられた機会。

 

 

 

更に、

そう思えた事で、人のお世話になる事への恐れが少し減った。

 

 

お世話をさせてくれて


ありがとう。

龍になる

夢をみました

 

 

私が霧散して、大気と成り、地上を観察していて、いつしか龍であることに気が付きます。

 

神の子達が暴走しているのを不思議に思いながら飛び回っていると時々、こちらに気付く者が居るので、興味が湧いて見に行きます。

 

龍の目で観ると、ルールやいざこざ等よりも、

その子が正しいか否か。

それだけでした。

 

神と向き合うのか否か。

 

その様子はとても愛らしく、赤ん坊を見守る保護者のようにみています。

 

転んだら最初のうちは手助けしてやります。

だんだんと自分の足で立ち上がり歩くように促していきます。

何度転んでも、

決して見捨てることはありません。

 

何度立ち止まっても良い。

ゆっくりでも良い。

自分で歩くことが大切だ。

トンネルの中では暗くて、辛く感じるかもしれない。

 

転んでも

 

立ち止まっても

 

ゆっくりでも

 

歩いて行けば出口がくるから大丈夫だよ。

大丈夫。怖がらなくて良いよ。大丈夫だよ。

 

ずっと側に付き添って励まし続けます。

 

 

大丈夫だよ。

 

 

 

 

目指したいもの

 


私はとても甘やかされている

 


お勉強はすべきなんだろうけど霊能者の方に習うの、ヤダな〜。

自分の守護霊様方の方が優しいし…

 


という思考が浮かんできました。

無意識に私は感じ取っていたのですね。

 


霊能者的な人に、なんだかんだで出会うのですが、厳しい事が多く、お怒りは感じ取れるのですが多くは語らないので、とにかく恐かったのです。

 

 

 

また、世間ではおそらく頭がおかしいと思われているような人が、

名声や権力のある人よりも清らかな浄化能力を持っている事があります。

 


その中でも私がこの世で一番清らかなオーラを感じたのは、一言も喋らない自閉症と思われる女の子。

お母様は、世間の評価に囚われているようで娘さんがどれほど清らかで美しいか、気付いていない様子でした。

私の感覚には、まるで天使!!と感動するほどの清らかさを感じる子で、どんな人間からも感じられるはずの、

恨みや悲しみというものがなく、ただ幸せな心を持っていました。

そういう人は自慢などしないでしょうね。

 

 

 

 


それほどの方にはなかなか出会えませんが、

 

 

 

守護霊様方は、

 


よく、よく、一緒に泣いてくれるのです。

 


私が辛い時、苦しい、悲しい、寂しい…

それでも…

そんな時にいつも慰めてくれています。

 


誰にも理解されない時でも、

 


全部見ていたからこそ、よく頑張った。と慰めてくれます。

 


愛で包んでくれます。

 


私は、そんな人になりたいのです。

マトリックスの世界はどこからきたのかな

旅のことを、ふと思い出した。

山は私にとっては情報の集合体で、初めて訪れる山ではあまりにも多くの情報が一気に入ってきて熱を出したり、夢現つで映像が凄い勢いで駆け抜けたり大変だった。


映画「マトリックス」が凄く近い。


一つ一つの植物に情報が組み込まれているような、ビットを拡大すると記号や数字や知らない文字や形が組み合わさって立体物が表現されているような、その情報達が勝手に頭の中に入ってきて情報処理しきれずに肉体が必死で対応しているような体験をしていた。

 


絵に描きたいけど倒れそうだなぁ。
今はその体力がないのでいつか…😓

使い捨てる?使い捨てない?

モノを使い捨てるという感覚に、

 

なんか違和感…

 

あれ?

 

私たちと使い捨て製品、の関係って

 

まるでブラック企業と労働者の関係みたいじゃないですか??

 

 

ふと、身の周りのモノを見渡してみると、、

 

私は大事にしていただろうか…

 

うーん、丁寧に生きるとか、周りのモノを丁寧に扱うとか、あまりピンと来てなくて上手く出来ないよ〜と思っていましたが、

ようやく心から反省するに至りました。

 

うっかりブラック企業に入ってしまい、人間として尊重されず、使い捨ての道具のように扱われていると感じた。

 

私自身は周りにあるものを大事に出来ていなかったのだと気づきました。

 

 

物をとにかく安く使っていた時、私たちも安く使われていたのかも。

 

物を雑に扱っていた時、自分も雑に扱われるのかも。

 

 

 

あの人がどうこう等と、よそごと考える暇があったら自分を整える事。

 

そう教わっているような気がします。

自分を信じること

自信を失い、前に進むことに怯えていた時のこと。

 

 

 


ちょっとずつ、後退もしながら前に進んでいく。

 


データ整理中、自分が過去に作ったHPが出てきました。

 

 

 

カメラマンに頼んだおかげで9年経って見ても綺麗な写真がありました。

過去の記憶が色鮮やかになります。

 

 

 

本当にあの時よく頑張ったんだと思えました。

 

 

 

頑張り過ぎて体を壊してしまったので、辛く苦しい記憶に悩まされていましたが、

もし、後輩ちゃんからこれを見せられたら心から褒め称えたはずです。

 


この時ようやく、心から過去の自分を褒めてあげられました。

 


同時に、過去の自分に励まされたような気がしました。

ーーー私はこんなことも出来るんだよ!

ーーー私の中にはこんな力があるんだよ!

そんなことを見せつけられたようでした。

 

 

 

自分を取り巻く雲が晴れたのです。

 


過去の自分に励まされて

 


未来の自分を信じて

 

 

歩む

 

 

 

慈しむ

 

 

 

私はとても幸せ者です。

 


ありがとう。