私の道の歩き方

私が私の道を歩くようになった事。

引き寄せと実力

私はスピリチュアルが大嫌いでした。

 

宗教は人を統治するための政治の一部でしかないと思っていました。

 

宇宙がどうのという話になると、読んでた本を閉じていました。

 

しかし、私の生まれ持った体質は人より霊媒体質でした。

 

ヒーラータイプの人からは、

「いやいや、あなたが一番スピリチュアルでしょ。」

 

と言われた程、心の底から普通に憧れていた程普通ではありませんでした。

 

結局どうしてもスピリチュアルな事からは逃げられなくなり、徹底的に勉強することにしました。

 

そのなかで、引き寄せというものがあります。

 

自己啓発系にも出てきますね。

 

思い込みのちから。

 

私は始め、半信半疑ながらも試しに信じてみました。

 

結果としては、なんとも微妙でした。

 

それから6年ほど勉強を続け、自分の体質を受け入れるようになり、

むしろ解放するようになりました。

 

そこで思った事は、

引き寄せって実力がないと大変じゃないの?

ってことです。

 

スピリチュアルな人で、引き寄せる人って、

実は過去に苦労がある人が多い気がします。

(悪いことしちゃう人は別として)

 

そういう人には、苦労という経験値があります。

つまり、自分では気付かないうちに実力をつけている。

 

知らず知らず地道に実力を付けた人がネガティブからポジティブに切り替えた時、

 

実力を発揮できます!

 

 

引き寄せって実はそういう側面もあるんじゃないのかな。

 

ひっそり親切

赦すことに繋がってたんだ。

 

 


いつからか、外でトイレを使ったら、落ちてるペーパーのカケラをゴミ箱に入れて帰るようになりました。

毎回ではないですが、そうしたいと思ったらなるべくします。

 


最初は、山登りをしていて、こんな山の上にトイレがあって整備されていて、なんてありがたいんだ〜( ;∀;)と、

ここまで来るのにひと苦労なのにわざわざこのトイレを管理してる人が居るかと思うと感謝の気持ちが湧きました。

 


そう思うと、落ち着かず、床に散らばっていた、たくさんのトイレットペーパーのカケラ達をどうにか集めてゴミ箱に捨てました。

これで、次来た人が気持ち良く使えると思ってわくわくしました♫

誰が見てるわけでも、褒められる訳でもないのですが、自分の気持ちが楽になります。

汚れたトイレを使うことは、自分はそのような価値の低い人間なんだという気分になる気がします。

そこで終わらず、片付けて綺麗にする。

すごーくスッキリするようになってきます(о´∀`о)

なにしろ今までは、自分も気付かず汚してしまっていたかもしれません💦恥ずかしい💦

 


トイレに限らず、誰も見ていない所でひっそりと誰かのために何かをする。。。

 

 

 

 


あたりまえになってくる。

 


そうしていくうちに、今まで許せなかったことを、赦す。ということが徐々に出来るようになって来たのかなと思います。

そのうち、赦す必要もなくなるのか(о´∀`о)

 


初めは山で何も無い特殊な環境の為に、自然と感謝が湧いて行動しましたが、

忙しい日常の中では少し難しいかもしれません。

それなら、いつもと違う事をしてみる。新鮮な感じを楽しむと良いかもですね(^ν^)

 


もし、色んな事が目に付いてイライラしやすい人が居たら(ええ、私ですо´∀`о)、お仕事ではなく

日頃のひっそり親切オススメですよ♪

進む

新しいことを始めたい時

 

古いものはどうする?

 

 

違う道を選びたいのに、過去を見ては迷ってしまう。

 

後ろを振り返っていては、また後戻りしそうになって前に進めなくなる。

 

心のどこかで薄っすら感じながらも踏み出せない。

 

あの頃、本当に楽しくて夢中になった。

 

喜んでもらえた。

 

成功や栄光が消えて無くなってしまうようで、不安で心配で。

 

もう二度と後戻り出来なくなってしまう気がして、選べなくなる。

 

後悔することも、あるかもしれない。

 

 

それでも!!!!

 

 

気持ちの整理が大事!

 

以前のもの大事に取っておいても、それを見る時間はもう無い。

 

新しいことをしながら、古い事もする余力はない。

 

それは他に頑張ってる人がいる。

 

これからもっとやりたい事があるはず。

 

大切にしたいものがあるよね。

 

学んだことはちゃんと身に付いてくるから大丈夫。

 

 

自分にしか出来ないことをする。

 

 

今、出来ること。

 

 

今なら、出来るんだよ。

 

 

人生で大事な事。

そんなに沢山は抱えられないの。

 

 

だからもう、手を放しても良いんだよ。

 

 

 

さぁ、前に進もう!!

褒めることは愛を与えること

人を褒めること

 

これって、愛がないとなかなか難しい。

 

 

人を愛せるようになりたい。

人に愛されるようになりたい。

愛ある人になりたい。

 

そんな人の為のブログ。

 

以前の私は、

誉めれば上手くいくと、頭では分かっていてもなかなか上手く出来なかったし、褒めたくなんてなかった。

 

愛に枯渇していたから。

 

自分自身が愛に飢えていたので、人に与えることができなかった。

 

自分に愛を与えて、溢れ出すくらいにもっと愛を与えよう。

自分を褒めて誉めて優しくして、大切にして、幸せにする。

溢れるくらい自分を褒めてあげよう!

 

 

私はとても大切な人。

私はとても良く頑張った。

辛い時も良く乗り越えた。

こうやって、前を向く努力をしているのは素晴らしい。

自分を労ってやる事は、人を労るのと同じくらい素晴らしい。

自分を幸せにする努力をしている、素晴らしい。

自分に良いことをして素晴らしい。

勉強をしていて素晴らしい。

苦しみからも何かを学び取ろうと良く考えた。とても素晴らしいことだ。

自分を見捨てずに救い上げて素晴らしい。

諦めずに歩むのが素晴らしい。

苦しい時も人の声を聞いて素晴らしい。

動物にも真剣に向き合って素晴らしい。

自分の短所に向き合って素晴らしい。

アドバイスを拒否せず、鵜呑みにもせず、自分に責任を持って良く考えて素晴らしい。

人を恨まない努力をして素晴らしい。

人を憎まない努力をして素晴らしい。

人を傷付けない選択をして素晴らしい。

人を責めないようにしていて素晴らしい。

依存をしない、させないよう努力をしていて素晴らしい。

批判をしない努力をして素晴らしい。

争わず、自分が身を引く事が出来て素晴らしい。

分からない事を否定せず、調べるのが素晴らしい。

自分を信じる事が出来て素晴らしい。

自分に責任を持つようになって素晴らしい。

自分を律する努力をしていて素晴らしい。

学ぶ努力をしていて素晴らしい。

人を認める努力をしていて素晴らしい。

怖くても、挑戦をして素晴らしい。

身体を労っていて素晴らしい。

少しでも健康になる努力をしていて素晴らしい。

人の為になることを考えていて素晴らしい。

自分の頭で良く考えるのが素晴らしい。

自分で調べようとするのが素晴らしい。

自分で勉強するのが素晴らしい。

人に頼りすぎない努力をし、自分を苦しめないようにして素晴らしい。

受け取ることが出来て素晴らしい。

自分に気付く事ができて素晴らしい。

少しずつでも成長していて素晴らしい。

人を労ることが出来て素晴らしい。

人に優しい言葉をかけることが出来て素晴らしい。

自分を受け入れて素晴らしい。

自分の弱さを見て、目をそらさず向き合っていて素晴らしい。

弱さを許しいて素晴らしい。

弱さを受け入れて素晴らしい。

悩みながらも行動を起こして素晴らしい。

小さくても勇気があって素晴らしい。

自分を見つめて素晴らしい。

全ては完璧ではありません。

誰もが、努力しています。

そこも褒めて良いんです。

小さな事でも良く見てあげましょう。

沢山、たっくさーん誉めてあげて良いんです!

 

受け取って良いんです。

 

幸せになって良いんです。

 

愛で溢れても良いんです。

 

そうしたら、出逢う人も褒められる。

自分だけにとどまらず、人にも愛を与えることになる。

 

そうやって、一人一人の愛が溢れて世界に愛が溢れるといい。

 

願います。

積み上げてきたものがガラガラと崩れ落ちること

私はとても愚かなのです。


失敗ばかりするし、道を誤るし、

すぐにわき道にそれたりする。


善と悪もよく分からない。


これで良いのだと思って生きてきた事が、


自分の中で積み上げてきた常識が、

ある時、崩壊した。


私は、間違っていた。


良いと思っていたものが間違いだった。


猪突猛進で突き進んでいた私の人生は、その時急停止しました。


色んな事が変わってしまった。


私はこれまで、知らずに罪を犯していたんだと気付いた時、恐ろしかった。


自分の思っていた世界が、別世界に変わる。


始めはとても苦しい。


だけど、必ず夜明けが来ます。


トンネルの中は暗く寂しいけど、ずっと立ち止まっているよりも、

歩き続けることで、必ず出口が見えてきます。


立ち止まって良い、うずくまっても良い、


そして必ず、自分の足で立って

自分の足で歩き出すのです。


それが私の道。

自分を信じる道

初めて神様の声が聴こえたのは、島根県神魂神社でした。


「それで良い」

「またおいで」



雨の朝の誰もいない境内でなぜかポロポロ泣いて泣いて、


傘がなくて、帰りの時間が迫って仕方なく濡れて帰ろうとしたら、


声が聴こえて


現実の声ではないのだけど、振り返っても何もなくて。


肯定され、歓迎され嬉しくてまた涙が溢れた。


雨を遮る木陰を抜けて走り出したら、雨はやんでいて少しも濡れずに、帰る事が出来た。

その日は半休だったので、飛行機で東京に戻って仕事がある。身体を冷やさずに体力を保てたのはとてもありがたかった。


このような幸運が何度も何度も訪れた。


辛い事に注目していると忘れてしまいそうになるけど、

私の人生はとても恵まれているのだ。


今日はただ、感謝していよう。


ありがとう。

神様はどこに居るのか


そう聞かれたら、どう答えれば良いのか。


それは、その人の段階によって変えなければならない。


固定概念なく、受け入れる事が出来る人には、神は自分の中に居ると伝えても良いだろう。


だが、始めからその答えでは救われない人も多い。


形あるもので見せた方が、納得しやすい人もいる。


本人が納得出来なければ、次に進みにくいものだ。



例えば、恋愛依存になった人。

その時は、小さな喜びを感じ取れなくなっている。


恋愛という、強い刺激がないと楽しみが感じられず、刺激を求める。


そんな状態で、自分の中の神を見出す事は難しいだろう。


目に見えて分かりやすい形で示してあげたほうが良い。



相手の状況を見極める。


今は理解されないと分かっていても、


後々、思い出せるように、言葉を捧げる事もある。


そういう時はだいたい不思議そうな顔をされるが、無意識に言葉を噛みしめるようにして胸にしまってくれる。


人はとても愛おしいもの。


少しずつ、成長すれば良い。


一歩ずつ進めば良い。


一段ずつ上がれば良い。


それで良い。


共にありたいと願う。